福崎電業株式会社

トップページ > 電気にまつわる小噺 > 電池の話

電池の話

文明社会に生きていると電化製品に頼りっぱなしです。
中でも、電源コードを必要としない製品は、持ち運びも楽で助かります
よね。
しかしその無線の電化製品も、動力源である電池が切れてしまう
と、途端に動かぬ物体となってしまいます。

この電池、一般的には18世紀後半に発明されたといわれていますが、
中東イラクの首都バグダッドでは、なんと2000年前の遺物としてツボ型の電池(と同じ仕組みの装置)が発見されています。
この装置が本当に
電池として活用されていたかは不明ですが、2~5ボルトの発電ができる
ということがレプリカにより実証されています。

1971年、イタリア人学者ガルバーニによって電池の原理が発見された
後、電圧の単位である「ボルト」の由来となったアレッサンドロ・
ボルタ博士が、1800年に「ボルタ電池」を発明しました。
ボルタ電池とは、銅板と亜鉛板を硫酸の電解液を介して直流放電のみ
できる一次電池のことで、1866年に乾電池の原型であるルクランシェ電池が発明されるまでの間、液体電池のパイオニアとして
活躍しました。

さて、世界で初めて乾電池を発明したのは、日本人であることは
ご存知でしょうか。

屋井先蔵(やい さきぞう)さんが1887年に、2年に及ぶ開発の末、
見事に完成させました。
13歳で時計店に修理工として丁稚奉公し機械
の知識を身につけた先蔵さんは、21歳で東京の高等工業学校を受験し
ます。
しかし、試験日の朝、頼りにしていた時計が5分遅れていたこと
により遅刻。
試験を受けることができませんでした。
年齢制限のため、
その年が最後のチャンスでした。

「世界中の時計が正確だったらこんな悲劇は生まれない!」
そう考えた先蔵さんは、電池で正確に動く連続電気時計作りに没頭し
ます。
そして1885年、連続電気時計の発明に成功しました。
ところが
この時計には、ひとつ問題点があったのです。
先蔵は電気時計の動力にルクランシェ電池を採用していたのですが、溶液が時計から
漏れだしてしまう難点があったのです。
(上にルクランシェ電池は乾電池の原型と書きましたが、現在の乾電池の様相は成していま
せん)

「それなら自分が溶液が漏れださない乾いた電池を作ってみせる!」
そう考えた先蔵さんは、2年に及ぶ開発の末、1887年に見事に乾電池を発明したのです。
亜鉛製の容器に電解液をしみ込ませた
紙(セパレータ)を敷き詰め、その中に二酸化マンガンと電解液を混ぜ合わせた固形剤を流し込み、最後に炭素棒を固形剤の中に
差し込むことで完成させました。

当時の日本は電化製品自体がまだ少なかったため乾電池を求める人が少なく、時代を先走りしすぎた感があった先蔵さんでしたが、
1894年、日清戦争において通信用の動力源として大量に注文が来たことによって、一躍有名になり、世の中に普及することになり
ました。

寝食を忘れて乾電池の開発に没頭したそうです。
世界中の人たちの役に立っている乾電池を日本人が発明したなんて、国民として
誇らしいかぎりですね。

PageTop